こんにちは、Ruiです!

 

古くから伝わり続け、日本人なら誰もが知っているであろう、有名な童謡『シャボン玉』。

 

童謡として『シャボン玉』が発表されたのは1923年で、作詞・野口雨情さんと作曲・中山晋平さんの2人によって制作されました。

 

子供の頃に何気なく歌っていた『シャボン玉』ですが、実はこの童謡の歌詞にはとても悲しい意味が隠されているんだそうです。

 

そこで今回は、『シャボン玉(童謡)は子供の例えだった?歌詞に隠された悲しい意味は?』と題して、有名な童謡『シャボン玉』の歌詞に隠された悲しい意味について調べてまとめていきたいと思います。

 

それでは早速、本題へ入っていきましょう!

 

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童謡『シャボン玉』の歌詞

 

 

作詞・野口雨情さんと作曲・中山晋平さんの2人によって制作され、発表された1923年からずっと伝わり続けている有名な童謡『シャボン玉』。

 

幼稚園や小学校で一度は歌ったことがあると思うのでご存知かと思いますが、まずは『シャボン玉』の歌詞から見ていきましょう!

童謡『シャボン玉』の歌詞

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

 

誰でも一度は、口ずさんだ歌ですよね!

 

この曲を聴くと、まだ幼少期だった子供の頃に『シャボン玉』を吹きながら何気なく歌っていたのを思い出します。

 

さて、『シャボン玉』の歌詞に隠された悲しい意味とは一体何なのでしょうか?

 

 

童謡『シャボン玉』は子供の例えだった?歌詞に隠された悲しい意味は?

 

童謡『シャボン玉』の作詞を担当した野口雨情さんは、1908年3月に後に離婚協議に至った妻のひろとさんとの間に、長女のみどりちゃんが生まれました。

 

しかし、長女のみどりちゃんは、生まれてからわずか7日で亡くなってしまいます。

 

その当時では、2~3割の子供が学齢前に亡くなっており、決して珍しいことではありませんでした。

 

1924年9月に、野口雨情さんは作曲家の中山晋平さんと歌手の佐藤千夜子さんとともに演奏旅行で徳島県に訪れていたのですが、その演奏旅行中に今度は2歳になる次女の恒子ちゃんまでもが早くに旅立ってしまったのです。

 

野口雨情さんの目の前で起きた悲しい想いが、童謡『シャボン玉』の歌詞に残し、亡くなった子供の例えになっていると言われています。

 

子供を失った野口雨情さんの情感が『シャボン玉』の歌詞に強く込められていると思ったのですが、次女の恒子ちゃんが亡くなった時と作詞を手掛けた時期が違ったりと、特に鎮魂の意はないという説があるなど、決定的になるような記述が残っていないんだそうです。

 

つまり、一種の都市伝説のようなものになっている訳なんですね。

 

ただ、『シャボン玉』の歌詞をもう一度振り返ってみると、『飛ばずに消えた』『産まれてすぐにこわれて消えた』というのは、生まれたばかりの子供の幼き命を連想し、命の儚さを訴えているように感じられました。

 

 

まとめ

 

今回は、『シャボン玉(童謡)は子供の例えだった?歌詞に隠された悲しい意味は?』と題して、有名な童謡『シャボン玉』の歌詞に隠された悲しい意味について調べてまとめてみましたがいかがだったでしょうか?

 

現状では、『シャボン玉』の鎮魂歌説など、他のいずれの説も決定的な根拠に欠けていると言われているので、実際に歌詞に込められた詳しい想いは分かりませんでした。

 

ですが、子供の頃に何気なく口ずさんで歌っていた『シャボン玉』は、命に関する大切さや儚さなどを感じさせられる、深く意味のある歌詞だなと個人的に思います。

 

それでは、今回はこれで以上とさせて頂きます。

 

最後まで閲覧して頂きましてありがとうございました!

 

Rui。